2007'12.16 (Sun) 06:19
自分は既に日本の大学で修士号取得の際に論文を書いてはいるが、何せ20枚だけとはいえドイツ語で論文を書くなんて初めてだから(と言うか、初めで最後でしょう)と言う事。
もう一つは、今般の論文指導教官であるA.M教官がいまいちメールのやり取りや論文指導にルーズな点を心配しての事であった。彼はそもそも優秀なドラマトゥルグで、現在はドレスデンにある州立オペレッタ劇場主席ドラマトゥルグである。故に彼は大学で毎週授業をする事はできず、一か月に1度程度ドレスデンから5時間以上かけて来、金曜にブロックゼミナールをやって、土曜にその続きと論文指導をし、またドレスデンに戻っていくのである。この論文指導とは言っても、論文執筆対象者を集めたただのお話し合いで終わってしまうので論文指導の体を成していない。で、頼みの綱はメールなのだが、旧課程下の筆記試験ではなかなか直しが帰って来ず、試験直前にあったヴァーグナーコンクール参加の為に滞在したヴェネツィアでようやくメールを受信。この時既に、提出期限の3,4日前。でも、オケ合わせだ、コンクール本選だ、と言っている時に「そんな直しなんかできるか〜」って書いたら、何と彼が訂正して、僕の名前で研修所に提出したらしい。良かったのか、悪かったのか…?
あとは、提出期限である来年1月は《ボエーム》契約の為に1か月大学を休まねばならない。と言う事は12月17日に提出する必要が生じたから、でもある。
4月、ベルリンのガラ・コンサートを終えて戻ってきた私は早速書き始め。幸いな事に2,3月の日本滞在中にがっちり資料を集めて読んでおいたのがよかった。時間がかかったのは、やはりドイツ語で書くという事で日本語で書いたものをドイツに直す過程。あと、研修所としては修士論文とは言いながら、研修所の旧ディプロム課程におけるオペラ史の筆記課題*の延長線上にこの論文を位置づけているフシがあったので、余り特定の事柄に集中しすぎず、どっちにもとれる様な論文形式にした為、逆に時間がかかった。この当時はまだ大学内で「論文のガイドライン」みたいなものはなかった。
それでもどうにか6月末には20枚を
ところが、10月に入ってもいっこうにメールは来ず。10月初旬の研修所長との折衝の際、思い切って論文担当教官を大学内の音楽学担当教官に代える旨提案するも、あくまで研修所内のシステムの中で処理したい彼女はこのままAM氏を論文担当教官兼主査とする事とした。事務室のリュットケ女史や研修所長を通じて電話してもらっても直近の授業の時に話すの一点張り。10月の授業の時には、印刷して読み始め、赤も入れ始めている。doc.ファイルで送ってくれれば、直接直しを入れてメールするとの事でその日のうちにメールで送付。数日後、着信確認のメールが来るも、数日のうちに送る、の言葉を最後に1か月待たされる事となる。「もうすぐ来るだろう」「今週末あたりに届けば今月いっぱいに論文を書き終えるかも」などと思いを馳せ、代理店のオーディションの日程を入れたかったものの、入れずに待機。勿論、この間も、事務室並びに研修所長にクレームは入れるも返事のメールは来ず。11月下旬の彼の来所時、彼は「もうほぼ書き終えたようなものだから心配要らない」ぐらいな事を言い、追ってメールで2,3回に分け送るといいつつ、結局来ず。
そうこうしている内に忙しい12月。さすがに呑気に構えていた研修所長もしびれを切らしたよう。これは彼女と以前話したが、彼女としてもAM教官には余り厳しく言えない事情があった。AMは彼女の以前の職場の同僚(だったかな?)の仲、優秀な彼を安い非常勤講師のギャラでドレスデンから呼び寄せている故である。私もそれを知っていたから、気を遣って今まで私自身からクレームを入れる事無く所長や事務室を通じてクレームを出していたのだ。そんな彼女も今回ばかりは電話で結構強く言ったみたい。
その翌々日6日(木)になって第一回目のメールを受信。それを見て愕然。確かにいろいろ直しをいれ、ところによっては書き直しもしてくれてあるのだが、「ここは先述の箇所とダブっているから(もしくは必要ない事柄だから)省略」という箇所があり、それをその通りに省略すると規定の20枚欠けるんですけど…。あと、いろんな疑問点をぶつけたりしてくれるのは有難いけど、その為に資料を読んで、翻訳して…って時間、今ある訳ないでしょ。自分は彼の様に音楽学の人間では無いし、語学もそう達者では無いんだから。そういうやり取りをね、余裕をもって10月からしたかったんですけど…。
で、二回目のメール(9日)、最終である第三回目のメール(10日)と続くも、10日のメールは一回目のメールの再送。保存ミスによるものらしい。で、可及的速やかに第三回目の訂正を送るようメールを出すも、昨日15日の段階で全く来ず。6日以降、劇場での代役(練習は6日・本番は7日)、フランス歌曲の授業(8日)、レパートリー試験(準備は10・11日、試験は12日)。実際に論文をあれこれイジる事ができたのは9・13・14日。昨日15日の昼すぎには彼のもとに今まで彼の訂正を元に必要最低限に留めた訂正稿を送付し、彼の最終チェックを経て月曜には製本に回してその日、ないしは火曜の朝には教務係に提出しなければならない。もし、彼が月曜の昼までにメールを返さなければ、そのまま提出、と言う事になる。今までの彼のメールのメッセージを見るに、彼は今般の大失態を全く謝る気配がない。
既述の様に、自分は音楽学の領域の人間では無いし、ドイツ語を器用に操れるわけでは無い。とは言え、できないなりにも、それ相応の、形の整ったモノを書きたかった。何せ自分は声楽科、ないしはムズィークテアター研修所における新修士制度下の初の修了生となり、以後の学生の例になる。でも、こんな程度の低いものを提出しなければいけないのかと思うと、本当に修士課程への入学を許可してくれた研修所長や講師、ライタカー教授を始めとする声楽科の教官に申し訳無いし、何より情けない。今般の問題は研修所の領域を超え、大学本部でも話題になっているらしく、うちの研修所長はもとより、10日の大学主催の行事“Weihnachtspunsch“の準備の際にすれ違ったハルトムート・ヘル新学長にまで「この度は申し訳ない」と謝られる始末。確かに今は旧制度から新・学士修士制の移行時期で、論文執筆の際の様々な制度上の問題点も今回の私の問題に影響している。
はっきり言って、精神的にもう疲れた。
*ある特定の役柄について音楽、その他の側面から分析をする。また、オペラの簡単な成立過程をも併記する。自分の旧課程下における課題は《コシ》のドン・アルフォンゾについて。
私は今その逆の立場かも。
生徒の小論文を指導していますが、全く持ってこない。
懇切丁寧に指導しても全く直して書くということをしない。
推薦入試の前日に「書いたので見てください」とメールをしてきたのはいいけれど、どんな結果だったのかも言ってこないし、胃をキリキリさせて過ごしておりました。
先日不合格だったということを聞き、なんだか私はひどく落ち込みました。
だって、その生徒ったら「先生、不合格でした〜。でも私は全く落ち込んでないんですよ〜、あははっ。」
私の胃痛は何だったのかしら…。
と愚痴ってしまってすみません。
初鹿野先生の卒論が無事終わりますように!!
コメント有難うございます。
紫藤楓様の件、ご同情申し上げます。自分は長い事小学校教師である母が学級担任をしていた頃、家に帰っても尚テストの○付けや日記の添削を必死でやっていた姿を見、自分に対してだけでなく、生徒に対して愛情や思いやりみたいなもの持って接しているんだなぁを感じていた一人です。ゆえに、教師とは大変な仕事であるがやりがいのある仕事と認識し、大学まで教師になろうか、と真面目に考えていた私です。
という熱い教師の思いとはうらはらに、生徒の先生に対しての思いは概してさっぱりとしたものです。「私は貴方たちのためにこれだけの事をしているのよ、感謝なさいっ」なんていうのも押し付けがましくていやだし…。どうにかならないものか、って感じですね。
私のほうは、大変不本意ではありますが、明日の最終の直しを以って終了となります。もう、悲しいというより、むなしい。
確かに、「私はこんなにやっているのに・・・」と考えたら教員なんてやってられないと思う(笑)
たまには凹むこともあるけれど、やっぱり私は人間が好き!
だから、その人間の成長過程のお手伝いが少しでもできれば!と思って教員の道を選びました。
でも、「我以外皆師也」というように、自分以外の人から学ぶことが日々ありますので、生きていることに感謝の毎日です。
初鹿野先生のお仕事もとてもやりがいのあるものですし、その才能をご披露することが多くの人々の心の癒しになることと思います!
いつも応援しています(^^)v
今日は1回目のメッセージを書いた後、大学にフランス歌曲授業のピンチヒッターで出勤でした。お返事遅れてごめんなさい。
論文の件ではさんざんな目にあったけど、昨日や今日のようにいい授業を受ける事が出来たり、その中で今までうまくいかなかったものがうまく出来るようになったり、いい演奏が出来たりする喜び…人生はやっぱりトントンになるようにできているようです。
私がこんなこと言うのも生意気で恐縮ですが、まぁ、お互い頑張りましょう。
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