2006'06.15 (Thu) 07:25
<訃報>佐藤功太郎さん62歳=東京芸大教授、指揮者
佐藤功太郎さん62歳(さとう・こうたろう=東京芸大教授、指揮者)15日、十二指腸がんのため死去。葬儀は18日午後1時、東京都台東区上野公園14の5の寛永寺輪王殿。自宅は非公表。連絡先は中央区銀座8の6の25の梶本音楽事務所。喪主は妻ルリさん。
新星日本交響楽団、神奈川フィルハーモニー管弦楽団などで指揮者を務めた。オペラやバレエの指揮でも活躍した。
(毎日新聞) - 6月15日13時37分更新
芸大の指揮科の教授でいらっしゃいましたので、声楽科は勿論、器楽科の方々も、学生オケで彼の指導を受けた事がある方はきっと多い事でしょう。佐藤先生とは、私の楽壇デビューとなった1996年の芸大メサイア(朝日新聞社主催・歳末助け合いメサイア演奏会)、2002年の伊豆新世紀創造祭記念合唱団定期演奏会「芸大オケと第九」(三島・伊東2回公演)。合唱団の一員としては、1994年の芸大定期・ブリテン《戦争レクイエム》の演奏会でご一緒させて頂きました。1994年の戦争レクイエムはかなり複雑な編成(合唱+児童合唱+三管編成オケ+室内楽?)でしたが、緻密な音楽作りが印象的。2002年の第九は長年のパートナー、芸大オケ(芸大管弦楽研究部)と共に質実剛健な、息の合った素晴らしい第九であった事を思い出します。この第九の公演は、静岡県東部・伊豆地域を中心に活動するアマチュア合唱団、伊豆新世紀創造祭記念合唱団が静岡県で初めて芸大オケを招聘し、行った公演。公演前日の夕方にオーケストラ合わせがあったのですが、その時の練習は(よくアマチュア合唱団とプロオケの共演時の練習に有りがちな、ただざっと通して終わり、ではなく)オケのメンバーに要所要所のフレーズを演奏させ、こういう風にこの音楽はできている、等と親切丁寧に、まるで学校の授業の様に教えて下さったものでした。
また、先述の様に、この公演は静岡県三島市と伊東市の二会場で行いました。三島から伊東に移動する際、ソリストと指揮者はジャンボ・タクシーを使っての移動となったのですが、その際、佐藤先生の長年の日本や海外での公演時の豊富なエピソードが貴重で、面白かったなぁ(旧・ソ連の話とか)。
彼はきわめてオーケストラとオペラの仕事をバランスよくしていた指揮者の一人でした。二期会においては《ボエーム》や《ヘンゼルとグレーテル》の様なスタンダードなレパートリーから和モノのオペラ(春琴抄)まで常に手堅い仕事ぶりでした。
それにしても先日無くなった指揮者の岩城宏之氏といい、佐藤先生と言い、日本のクラシック音楽界の貴重な人材が…。心からお悔やみを申し上げます。
訃報(梶本音楽事務所)
来週ある、
うたシリーズの、
ゲノフェーファ功太郎先生が、指揮をされるはずでした。
でも、
体調がおわるいということで、
前半を松尾先生が振られるということになり、
チラシが印刷され。。。
最近になり、
結局後半も別の先生が振られることになりました。。。
今週の月曜日、
指揮の松尾先生が、功太郎先生のお見舞いにうかがったところ、意識がもどらず、昏睡状態。
本当だったら、
せめて、先生に、カーテンコールだけでもでてきてほしかったけれど、今はそれも無理になってしまったんです。
と涙ながらにおっしゃっていました。
功太郎先生が、本当に、ふりたがっていた舞台だったと、おっしゃっていらっしゃいました。。。
舞台の成功を、きっと、天国からみまもって下さるに違いないと信じて、、、私に出来る限りのことをやっていきたいと、思いました。
それにしても、
岩城さんに続き、、本当に残念ですTOT...
シューマンの唯一の歌劇と称される《ゲノフェーファ》を芸大で演奏する話は聞いていましたが、そういうプロセスがあったとは…。最近でこそコバケンが目立ち気味でしたが、サト功は長らく指揮科を始め、芸大の学生オケやら芸大オケを支えてきました。その労苦に対し、心からご苦労様でしたと言いたいと思います。
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